※本ブログは桐生が過去にメルマガで配信した
内容を再編集して投稿しております。
こんにちは。
桐生将人(きりゅうまさと)です。
以前にもこういったネタを
ブログで書きました。
そのときは、
「何」を言うかより、
「誰(関係性)」が言うかより、
「受け手」がどうかという
話を紹介したのですが…
今回はまた別の重要な要素
について紹介します。
しかも、今までで一番残酷な
内容かもしれません^^;
では、最初に結論から。
何を言うかより、
誰が言うかより大切なのは…
「話し手の知能(能力)」
だということです。
こんな調査があります。
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<以下、意訳・抜粋>
・中高生の生徒たちに
教師の能力を質問し、
学習の習熟度を予測した
・その結果、学習の習熟度は、
その教師を好きか嫌いかは
関係がないことがわかった
・その教師が嫌われていても、
生徒から有能だと認められて
いればそのクラスの習熟度が
もっとも高かった
―引用・抜粋(No.1060)『無理ゲー社会』 著:橘玲、出版:小学館 (2021/7/29)
/////////////////
ここからわかるのは、
“関係性”ができている人が
何を言ったとしても、
その人が無能なら習熟度は
上がらないということです。
つまり、よく言われる
「誰が言うか」という
ものが”関係性”について
述べているものだとすれば、
それは”知能”と比べると
さほど重要ではない要素だ
と言えるかもしれません。
そして、
この「相手を有能か無能か
を判断する能力」は、
人間の本能的なものである
とも言われています。
もう1つ事例を紹介します。
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<以下、意訳・抜粋>
・アメリカの保育園で、
子どもたちは、いつも
世話してくれる保育士と
はじめての保育士の映像
を見せられた
・どちらが好きか尋ねると
当然ながら、子どもたちは
よく知っている保育士を
選んだ
・次に保育士が、あるテスト
に挑み正解か不正解かが
示された
・このとき、見知らぬ保育士は
つねに正解し、よく知っている
保育士はすべて間違えた
・その後、子どもたちに
見知らぬものを見せて、
どちらの保育士に名前を
教えてもらいたいか聞いた
・3歳児はそれでもよく知っている
保育士を選んだが、4歳児はすぐ
に見知らぬ保育士に聞きに行った
―引用・抜粋(No.1048)『無理ゲー社会』 著:橘玲、出版:小学館 (2021/7/29)
////////////////
要は、4歳児のような小さい
子どもですら”関係性”よりも
“有能”であることを優先した
ということですね。
著書においては、この実験を
「小さな子どもでも生きていくため
には、能力を高い者を素早く見分け、
信頼するように『進化』した。」
「わたしたちは、有能な者に
魅力を感じ、無能な者を避けるよう
進化の過程で『設計』されている」
と結論付けています。
以前に、このブログでも、
「何」を言うかより、
「誰」が言うかより、
「受け手がどうか」という
ことをお伝えしました。
これもある意味、
受け手の「知能(能力)」が
関係しているという話でした。
ということは、
話す側も聞く側も
「知能がないと意味がない」
ということになってしまい
かねないですね^^;
(さすがにそれは飛躍しすぎ
な気がしますが…)
ということで、
あなたがもし話し手だとしたら、
“関係性”をどう作るかよりも、
まずは自分の”能力”を磨きましょう
ってことです。
まぁ、当たり前といえば
当たり前の話ですね^^;
桐生 将人
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