MENSAの思考

ドリーム・ハラスメントって知っていますか?

※本ブログは桐生が過去にメルマガで配信した

内容を再編集して投稿しております。

 

こんにちは。

桐生将人(きりゅうまさと)です。

 

ドリーム・ハラスメントって

言葉を知っていますか?

 

正直、桐生も最近になって

初めて聞いたのですが…

 

要は、会社や学校等で

夢をやたら聞かれたり、

夢を持つように強制される

ことを言うようです。

 

ドリーム・ハラスメントの

被害者(と言っている人)たちは、

夢を持つことを強制された経験から

「夢がないことがそんなにダメなの?」

「夢に囚われずに生きたい」

という考えを持っているとのこと。

 

さらにいえば、

「フリーターやニートの増加を

若者たちの『自己責任』にしたい

大人が夢を強制するようになった」

なんて言っている専門家も

いるようです。

 

ですが、、、

 

本当に「夢を強制しないこと」

がなにかを解決するのでしょうか?

 

では、思考実験として、

彼らが言うように

夢を持つことなく、

「自分らしく生きる」

という選択肢を取った

場合を考えてみましょう。

 

確かに「自分らしさ」が

「フリーターになること」

だと考える人は少ないと

思います。

 

その結果、もしかしたら

フリーターは減るかも

しれません。

 

ですが、彼らにとって

フリーターになるのではなく

「自分らしく生きる」とは

どういうことなのでしょう?

 

何も頑張らず、

なんとなく目に入った

仕事に就いて、

なんとなく暮らしていく

というものでしょうか?

 

おそらく、彼らの自己評価は

そんな人生を許してはくれません。

 

なぜなら、彼らのほとんどが、

「自分の能力は平均以上である」

と考えているからです。

 

以前にも紹介しましたが、

「業績考課を廃止せよ」という

書籍で紹介されている調査では、

社員の98%が自分の業績は上から

半分以上と思っていて、80%が

上位1/4に入っていると思って

いると言われています。

 

つまり、

9割以上の人にとって

「自分らしく生きている状態」

とは、「平均以上の人生を

送っている状態」であると

考えられます。

 

ですが、実際は、平均以上の

人生を送ることができる人は

全体数より少なくなる可能性

が高いです。

 

結果として、

 

「自分らしく生きる」

 

ためには、

 

「他人(平均)よりも

上にいかないといけない」

 

ことになり、その結果、

 

「現在よりも状況を改善

しないといけなくなる」

 

といえます。

 

これを「夢」ではなく、

「自分らしく生きる」

という表現をするのなら

確かに「夢」とは違う

のかもしれません。

 

ですが、「現状よりも

良い状態を思い描く」

という意味では、もはや、

「夢」も「自分らしく生きる」

も同義と言えるのではないか

と思うのですよね。

 

さらにいうと、近頃、

この「自分らしく生きる」

という価値観の押し付けが

激しくなっていることも

気になるところです。

 

この事件と話を一緒にするのは

あまり好ましくないとは思いますが、

「津久井やまゆり園事件」では、

まさにこの考えが発端になった

と言われています。

 

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施設に侵入した男は、

職員の両手首を結束バンドで

縛り上げ、順番に部屋を連れまわし、

入居者が「しゃべれるのか」を

いちいち確認した。

職員が「しゃべれます」と答えた

部屋は素通りし、「しゃべれません」

と答えると包丁を振り下ろした。

犯行中、「こいつら、生きていても

しょうがない」とつぶやくこともあった。

男は、「自分らしく生きる」可能性が

ないと見なした入居者だけを標的に

したのだ。

 

―引用(No.260):『無理ゲー社会』 著:橘玲、出版:小学館 (2021/7/29)

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しかも、書籍の中には、

「偏差値の高い学校の生徒

ほど犯人の考えに共感して

いる生徒が多い」という

話も紹介されていました。

 

つまり、

 

「自分らしく生きる」

 

という価値観は、当初の

 

「自分も自分らしく生きるから、

あなたもあなたらしく生きていいよ」

 

という思想から、

 

「自分らしく生きられないなら、

その人間には価値がない」

 

という過激な思想へと変化して

いるのかもしれません。

 

とはいえ、繰り返しになりますが、

実際には平均以上人生である

「自分らしい生き方」を成し

遂げる人は少数派になります。

 

そうすると、多くの人は、

「夢」を追わずに「自分らしい

生き方」を選択したはずなのに、

今度は「自分らしく生きる」と

いう難題を強制されることに

なっているといえます。

 

このように考えると、

まだ「無理やり持たされた夢」

の方が本人としては救いが

あるかもしれません。

 

「自分らしく生きる」

ことができないのは

すべて自分のせいなわけ

ですからね。

(こちらの方がまさに

『自己責任』の押し付け

と言えますよね^^;)

 

これが強制される社会に

なっていけば、フリーター

どころか、もっとひどいこと

が起きかねない気がします…。

 

最後に。

 

個人的な考えですが、

そもそも「夢」は自分が願うもの

ですが、自分が叶えないといけない

ものではないと考えています。

 

桐生の夢は、

「次世代が夢をもって

生きられる日本を創る」

というものです。

 

ですが、その夢は、

「自分の今回の人生の中では

成し遂げられないとしても

そのきっかけになれればいい」

と考えています。

 

こういう「夢」なら

ドリーム・ハラスメントの

事例のように追い込まれる

ことはないと思うのですよね。

 

追い込まれる「夢」と

追い込まれない「夢」があり、

追い込まれる「自分らしい生き方」

もあるわけです。

 

何が問題なのかは、

言葉の定義をしっかり

しないと見えないですね。

 

桐生 将人

 

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