こんにちは。
桐生です。
『最初は衝突していたはずなのに、
気付いたときには、
あなたの主張をすべて飲んでいた…』
そんな「議論ではなく勝負に勝つ交渉術」
を身に着けたいと思いませんか?
営業、マネジメント、採用等…
ビジネスのあらゆる場面において、
「あなたの主張を通せるかどうか」
によって、得られる成果はまったく
変わってしまいます。
だからこそ、ビジネスの成功は
「経営者の交渉力にかかっている」
といっても過言ではないかもしれません。
桐生自身、正直なところ、
今までは交渉があまり得意では
ありませんでした。
その理由は、あまりにも我が強いので、
とにかく自分の主張を通そうとして、
「結果的に議論には勝っても、
勝負には負けている」
ということを繰り返してしまっていた
からです。
正直なところ、それによって
破壊してしまった人間関係も
たくさんありました。
(今でも後悔しているものもあります)
ですが、そんな桐生でも、
最近は以前と比べて、ずいぶんと
「議論ではなく勝負に勝つ」
という交渉ができるようになりました。
それには明確な理由がありまして。
実は、桐生は数年前から
人間関係や交渉で悩んだときに
“あるワーク”をするように
なりました。
それが何かというと、
「一人称を名前にして考える」
というワークです。
そもそも交渉が必要になるのは、
自分の主観と相手の主観が衝突して
しまうからです。
そういう意味では、
ただ単に衝突を避けたいだけなら、
「相手の主観的な考えをそのまま
すべて受け入れてしまえば良い」
と言えるかもしれません。
ですが、少なくとも
ビジネスの場ではそんなことをすれば、
たちまち搾取されることになるでしょうし、
自分の進みたい道を一切歩めない人生なんて
味気ないものに思えます。
結果として、
誰しもが少なからず自分の主張を
通すために交渉をするわけです。
では、どうすれば、
相手との衝突を避けながら、
自分の主張を通せるような
交渉ができるようになるのか?
よく言うのは、
「相手の立場に立って考える」
というものです。
たしかに相手の立場に立って考える
ことは重要です。
自分の意見だけを押し通しても
交渉成立には至りません。
相手の気持ちを理解して、
お互い歩み寄ることで、
お互いが納得できる折衷案に
行き着くことができるかも
しれません。
ですが、桐生は
「これでは不完全」
だと考えています。
というのも、
交渉で主導権を握る人たちは、
「折衷案に見せかけながら、
結果的に自分の主張を
最大限通している」
からです。
そもそも、
「折衷案」といえば耳障りが
良いかもしれませんが、
「自分の主張が通った」
とは言えないわけですから、
「自分にとっての妥協案」
になっていることも多いです。
だからこそ、
「お互い歩み寄る」
という発想ではなく、
「自分の主張が折衷案になるように
場をコントロールする」
ということが重要なわけです。
では、改めて、
どうすれば、
「相手に納得してもらいながら、
自分の主張を最大限通す」
という交渉ができるように
なるのか?
その1つの方法は、
「ゲームのプレーヤーの視点で
自分を操作するように考える」
ということです。
たとえば、あなたが何かのゲームを
していたとします。
そのゲームにおけるミッションで、
「主人公に対していじわるばかりを
してきた敵対するキャラクターを
仲間に引き入れなければならない」
というものがあったとします。
さて、どうしましょうか?
きっと、あなたは主人公に
・なぜ、いじわるするのかの原因を探る
・相手が興味を持っているものや好みを
知ろうとする
・その相手の周囲の人間と仲良くなる
といった行動をさせるのではないかと
思います。
決して、相手のいじわるに対して、
・報復行為をすることで対抗したり、
・自分の意見を押し通そうとする
といった行動はさせないはずです。
こんなふうに相手のことを考えながら、
主人公(=要は、あなたのこと)を
操作することができたら、
自然と相手との衝突を避けながら、
自分の主張を通すことができるような
交渉ができると思いませんか?
このゲームのプレーヤーの視点が
「相手の立場に立って考える」
と異なる最大のポイントは、
「そこに自分と相手の両方が存在している」
ということです。
これは、いわゆる「メタ認知」というもので、
自分と相手がいる場面を第三者的な視点で
眺めるというものです。
交渉で主導権を握る人たちは、
この「第三者的視点(メタ認知)」によって、
相手の動きに合わせて自分をうまく操作して、
交渉を有利に進めていくわけです。
とはいえ、
この「メタ認知」が簡単にできるとしたら、
誰も交渉に苦労しないわけです^^;
そこで役立つのが冒頭にお伝えした
「一人称を名前にして考える」
というワークです。
たとえば、桐生は
このブログでもそうですが、
「僕はこう考えます」ではなく、
「桐生はこう考えます」というような
表現を使います。
あえてこのような書き方にしているのは、
「桐生」という人間を第三者的に捉えて
まるでゲームのキャラクターのように
扱っているからです。
「僕」にとって「桐生」は、
「自分」ではなく「桐生」という
キャラクターだということです。
「桐生」はあくまでキャラクターなので、
何かを否定されたとしても、
それは「僕」が否定されたわけではないので、
相手の攻撃的な態度に対しても冷静に検討が
できるようになります。
さらに、
「桐生」は自分で操作ができるので、
先程のゲームのように、
「相手を納得させるためには
どう操作(交渉)すればよいか」
を第三者的視点から検討することが
できるということです。
ちなみに、古代ローマの政治家である
ユリウス・カエサルは第三者視点で
執筆するために「私は」ではなく
「カエサルは」という一人称を使った
という話があります。
「一人称を名前にして考える」という
ワークは古代から続く鉄板の手法なのかも
しれません。
あなたは今、
「議論に勝って勝負に負ける」
という交渉をしていませんか?
次に交渉の場に立つときは、
あなたはプレーヤーとして
「あなたの名前のキャラクター」
を操作してみてください。
桐生 将人
