マネジメント

社員の幸せを考えるというヤバい思考

こんにちは。

桐生将人(きりゅうまさと)です。

 

「社員を幸せにしてあげたい」

「社員を幸せにするのは社長の責任」

みたいなことを言う経営者がいます。

 

そして、そういう経営者が、

「素晴らしい経営者だ!」

みたいに扱われることがあります。

 

また、こういう考えを、

社長のみならず上司や先輩社員でも

持ってしまう人がいます。

(ある意味、優しい上司や先輩社員

だからこそとも言えますが…)

 

ただ、この考えはヤバい考えです。

 

なぜ、ヤバいのかについて

順を追って説明しますね。

 

そもそも「幸せ」とはどこから

生じるものなのか?

 

たとえば、ある人は、

平日の仕事はつらいもので、

休日に家族と一緒に出かける

ことを「幸せだ」と感じているかも

しれません。

 

ですが、別の人は、

大好きな仕事に打ち込める

平日の時間を「幸せだ」と感じ、

家族サービスをしないといけない

休日は苦痛かもしれません。

 

なぜこんな違いが生まれるか

というと、幸せは「主観」だからです。

 

つまり、どんなに相手から

「幸せだ」と思われていても、

自分自身が「幸せだ」と

感じていなければ幸せではない

ということです。

 

そう考えると自分を幸せに

できるのは誰か?

 

それは、

「自分にしかできない」

ということになります。

 

さらにもう1つ問題があります。

 

それは、以前からお伝えしている

「責任と自由」の本質的な関係です。

 

人は責任と比例して自由が認められます。

 

たとえば、社長は会社に対する全責任を

負っているため自由に出退勤できます。

 

逆に、社員は自分の仕事に対する責任しか

負っていないので出退勤の自由が認められ

ていません。

 

ということは、社長が

「社員の幸せに対して責任を負う」

とはどういうことか?

 

それは、社長が

「社員の幸せになる自由を奪う」

ということになります。

 

もう少し具体化すれば、

社長は社員の幸せを達成するために、

社員の人生の選択や主観的判断の

自由を奪わなければならない

ということです。

 

ですが、こんなことは

すべて命令に従わせるとか

脳を奪うとか洗脳するとか

そういった非人道的なことを

しない限り不可能です。

 

こう考えるとわかることですが、

社員の幸せに対して責任を負うなんて

ことはできないのです。

 

では、最後に、なんで

「社員の幸せに対して責任を負う

という考えがヤバいのか?」

をお伝えします。

 

それは、そういうことを考えるのは、

「社員の思考までも支配したい」

という無意識な支配欲求から来ている

可能性があるからです。

 

「責任を負う=自由を得る」

というのは、自分にとっては

良いことです。

 

ですが、

「相手に対して責任を負う」

ということは

「相手の自由を奪う」

ということでもあります。

 

本当に相手の幸せを願っているなら、

相手が自分で幸せを掴めるように

自由を増やしていく方が近道と

言えるかもしれません。

 

そのためには責任を減らすのではなく、

逆に責任を増やす必要があるということです。

 

この本質を理解しないで、

無意識に相手の自由を奪っていては、

相手が自分で幸せを掴むことを

阻害することになりかねません。

 

もちろん、

「相手を支配したい気持ちで

やっているんだ!」

という人は問題ありません。笑

 

桐生 将人